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2012年01月29日

轟鉱山 ~エルドラドの謎~

その始まりは、僕の元に送られてきた轟鉱山の地形図。
轟鉱山 ~エルドラドの謎~

という訳で、今回はマニアック記事です。しかも、並のマニアックさではありません。
もちろん、用語解説等はありません(解説希望のコメントがあれば対応致します)
興味の無い人以外は超スルー推奨です。


スノーピークファンには、お馴染みの轟鉱山。
しかし、その詳細を知る人は、殆どいないと思いますので、簡単に轟鉱山を紹介します。
轟鉱山は明治30年の夏ごろ、大石沢上流で発見された石炭鉱が始まりです。
ここで「?!」と思った方は、なかなかのマニア、北海道で最も古い金鉱山の1つとして知られる轟鉱山の始まりは石炭でした。
今回頂いた地形図に、この様な記載があり、不思議に思っていたのですが、こんな理由があったのですね。
轟鉱山 ~エルドラドの謎~
余市町のO某なる人が、それを採掘する前に、北海道鉱山株式会社(社長は二代目田中平八)に現地調査を依頼、同社の技師を派遣して調査しましたが、目的の石炭は見当たらず、そのかわり余市川上流の落合付近で珪石脈の露頭を発見、これを持ち帰り分析した所、良好な結果だった為、試掘出願の手続きをしました。
しかし、北海道鉱山の動きを聞きつけたA某という人物が、不見転で試掘出願を行なっていたので、北海道鉱山は手も足も出ない状態に・・・
ちなみにA某が出願した時の鉱山名は旭鉱山でした。
そのA某は札幌のTという人物と共同で試掘と精錬を行なっていましたが、思うような収益を上げることが出来ず、売鉱先の然別鉱山(後の大江鉱山)を経営していた北海道鉱山に鉱山ごと身売りしました。
余計な出費がありましたが、旭鉱山を手に入れた北海道鉱山は、明治31年、「雄名を世界に轟かさん」との願いを込めて、轟鉱山と改称しました。
そして、精力的に開発され、大金山へと発展していきます。

鉱山街や青化精錬所や索道を作り、アメリカ製削岩機を導入するなど多くの資金を注入し、轟鉱山は開発されていくのですが、次第に鉱脈が枯渇していきます。
そのせいなのか、明治39年、経営が北海道鉱山から社長の田中平八と親戚の銀之助の個人経営となります。
更に追い打ちをかけるように明治41年1月、精錬所が火災、精錬不能となってしまいます。
人員の大半を隣の明治鉱山へ移し、小規模に探鉱と採鉱を行なっていましたが、明治42年、有望な鉱脈(大越脈)が発見され、大正2年、田中平八が設立した田中鉱業へ移管、大越の開発に注力し再び活気を取り戻します。
大正12年、北海道初の水力発電所を設置、大正13年、青化精錬所が完成、昭和7年からは国の産金奨励政策もあり、昭和10年位、より拡張した青化精錬所及び浮遊選鉱所を竣工します。
順調に見える轟鉱山ですが、実は金品位は徐々に低下していました。
昭和初期には17g/tあった金品位は昭和11年には9.6g/t、昭和12年には4.4g/tまで激減します。
金品位が低下すると採鉱量を増やさなくてはなりません。昭和14年、日本初の朝鮮人強制連行による労働者が配属されたり(総計71名配属)鉱害出したりして頑張りますが、昭和18年、金鉱整備令が発され閉山、鉱業権も田中鉱業から帝国鉱業開発へ移りました。

戦後、昭和25年に鉱業権は再び田中鉱業へ移管、昭和38年に探鉱と採鉱再開するも、送鉱先の国富精錬所(元国富鉱山)が操業停止に伴い轟鉱山も休止。
その後、金相場が変動制となり金価格が高騰、昭和56年、田中鉱業から田中コンクリート工業へ鉱業権移転、昭和57年、合同資源産業へ委託し再稼行しますが、採鉱量が減少し、昭和62年、3度目の閉山を迎えました。

前置きが、かなり長くなりましたが、エルドラドの謎とは?

先日、知人から年賀状代わりに、北海道の鉱山に関する資料が送られてきました。
その中に、轟鉱山の地形図があったので、糸平興発に勤めていた知人にそれを見せ、一緒に眺めていました。
その時に、地形図の中にあった「エルドラド」の文字。
轟鉱山 ~エルドラドの謎~
場所は西卓越です。
エルドラド・・・黄金郷・・・まぁ、轟鉱山自体がエルドラドと言えばエルドラドなんでしょうけど・・・何故、こんな所に小さく記載を?
エルドラドという名の飲み屋とか劇場などの施設かと妄想しましたが、それにしては鉱山街から離れているし。
ちなみにエルドラドの文字の左側にある消された建物のような図形、これは一番最初に建設された青化精錬所です。
で、帰ってきて、資料を読むと、こんな記載がありました。
「精錬所から約100mのところに坑道があり、これは得虎洞と名付けられていた。これをエルドラドと読ませるのであるが、当時におけるロマンに満ちた轟への期待と機知に富む名付け親の存在を思わせるものがある。」
という事で、エルドラドとは坑道の名前でした(笑)

地形図を見ていると、鉱脈の名前には全て「越」の字が入っていたり、「雷音」と書いて「ライオン」と読ませる橋があったりと、なかなか洒落ているなーと感じました。

☆追記
鉱山街のメインストリーム付近の地図を掲載しておきます。
轟鉱山 ~エルドラドの謎~
↑クリックすると大きな画像が表示されます。
鉱山最盛期の赤井川村の人口が約3000人、その1/3が轟でした。
あの山の中に1000人もの人が生活していたなんて凄いですね。
ここよりも上流側に上級職の住宅があるのですが、行商が来ると、上の地図のあたりで凄く売れてしまい、上級職の人は殆ど買えなかったらしいです。
同時期に赤井川村で稼行していた鉱山は、轟の他に明治、中ノ沢、松倉と計4鉱山ありました。
と言うことは、赤井川村における鉱山関係の人口は、相当なものだったと推測されます。
現在も上の地図付近までは車で入ることが出来ます。
殆ど取り壊され何もありませんが、SPWの際に、訪れてみるのも良いかもしれません。
往時の事を考えながらそこに立つと、胸が熱くなりそうですね。

参考資料 : 北海道金鉱山史研究
Special Thanks : ブーさん





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この記事へのコメント
いや、面白い。

まぁ、面白いと思って読むのは僕を含め少数かもしれませんがw

この手のマニアックさを全面に押し出してほしいなぁ…

探検キャンプとか計画したりして(爆)

確実に女性と子供には不評でしょうがね〜www
Posted by satodoo123 at 2012年01月29日 08:40
恐れ入る程のマニアックさが気に入り、ついつい見入ってしまいました。(´ー`*)ウンウン

轟鉱山…初耳でした。。。

無知なスノーピークファンより(爆)
Posted by コチタクコチタク at 2012年01月29日 13:04
>>satodoo123さん

面白さをわかって頂けて嬉しいですー
あまりに嬉しかったので、少し追記しましたので、宜しければご覧ください。
今後は、この路線にも力を入れてみますかね(笑)

探検キャンプ、常々やってみたいと考えているのですが、クマが怖くて実行できません・・・
探検スノーハイキングなら、出来る所がありますよ。
札幌から手っ取り早く行ける所では、漁岳の麓付近の恵庭鉱山の製錬場があります。
次の記事にしてみようかな。
Posted by furutorifurutori at 2012年01月29日 13:13
>>コチタクさん

こんな記事を読んで頂き、ありがとうございます。

あのSPWの会場の近くに、鉱山の跡があるんですよー
というか、ドローム自体が鉱山の区域に鉱山会社(の後継会社)によって作られましたからね。
現在の運営は違う会社ですけど。

こんな事知らなくたって、全然無知なんて事はありませんよ。
大体、訳知り顔で書いている僕自身も良くわかっていませんから(苦笑)
Posted by furutorifurutori at 2012年01月29日 13:24
ご無沙汰でした~

今年のSPWは鉱山ツアーですね?私はいきませんが・・・笑
マニアックすぎてじっくり読んでしまったんですが・・・笑
Posted by yahyah at 2012年01月29日 17:08
はじめまして!
冬山に目覚めてしまい、色々検索してるうちに辿り着きました。
最初のコメントがマニアックなネタになってしまいますが
とても貴重な物を見せていただき、ありがとうございます。

中央部に載っている学校ですが、結構大きいのですね。
今は、跡地に謎のコンクリートが残っているだけでしたが
こう見ると、まだ何か残っているかもしれませんね^^;
Posted by hi at 2012年01月29日 23:50
>>yahさん

読んで頂きありがとうございます!

「訪れてみるのも良いかもしれません」なんて書きましたが、行っても何もないので、余程のスキモノでもない限り、行かない方が良いです(笑)
Posted by furutori at 2012年01月29日 23:51
>>hiさん

はじめまして!

当ブログには、冬山ネタが殆ど無くて申し訳ないです・・・

今回もらった地形図は、A3のコピー用紙数枚に分割された状態送られてきました。
実際にはかなりの大きさのものなので、全てをお見せでき無いのが残念です。

轟の現地に行かれたことがあるのですね。
学校はコンクリートの基礎のようなものが残されているのみですよね。
水力発電所付近にも基礎が残ってますね。
僕が昨年訪問した時は、水力発電所の基礎あたりビニルシートがかかっていました。
ちなみに発電所の南側の丘の上あたりに、製錬所がありました。
この辺りも探ると、何か見つかるかもしれませんね。
数年前までは、北大が調査に使用したプレハブ小屋や神社なんかが残っていたようですが、糸平から手が離れ、現在の所有者になってから、全て取り壊してしまったとの事です。
坑口は、埋めてないものが幾つかあるそうです。
ネットがかけてあって、見た目にはわかりづらくなっているらしいですよ。
明治の方には、まだ当時の建物が幾つか残っているようですね。
糸平が管理していた時は、流石に鉱山会社の後継会社だけあり、出来る限り保存しようと考えていたようですが、現所有者は、そういう事は全くお構い無しなので、明治の建物も壊されてしまうかもしれません。

hiさんのサイトを見せてもらいました。
恵庭鉱山にも行かれているのですね。
実は、当ブログの次は4年前に恵庭鉱山へスノーハイクした時の記事なんですよー
もう記事は書き上がっていて、間も無くアップする予定です。

ペンタックスのカメラもお使いなんですね。
僕もペンタックス使ってますよー
hiさん程、上手に撮れないし、レンズも持ってませんが、ペンタックスは大好きです!

差支え無ければ、当ブログからリンクさせてもらっても宜しいですか?
Posted by furutori at 2012年01月30日 00:45
こんにちはー

轟地区へはじめて行ったのがもう20年以上昔になりますが
当時はまだ色々残っていたように記憶しています。
若い頃は産業遺産に興味が無く、曖昧な記憶が残念ですが・・・。
ここ最近は、じっくり見て回ってますが、雪が融けるとダメですね~
一昨年はハチの大群に追い回されたし、ここも難易度が高いです(汗)

カメラは・・・沼にはまってしまい、上達はさっぱりです・・・。
それでも、海や空の青はPENTAXが1番好きですねー。

リンクの件、ありがとうございます。
私もリンクさせていただきました!
今後とも、宜しくお願い致します。
Posted by hi at 2012年01月30日 12:41
>>hiさん

20年以上前の轟に行かれたのですか-、羨ましい!!
発電所も良い状態で残っていたんでしょうね。
産業遺産巡りは、雪解け直後か雪が降る直前くらいが良いですよね。

僕は、友人からは他メーカーのカメラを勧められましたが、色々撮り比べるとPENTAXが一番シックリ来て、K-xを買ったのが始まりでした。
僕もPENTAXの描写が好きです。
もっとレンズが欲しいですー
今は12-24が欲しいです。

リンクのご許可、ありがとうございます。
また、リンクして頂き、ありがとうございます。
こちらこそ、今後とも宜しくお願いいたします。
Posted by furutori at 2012年01月30日 16:42
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