スノーハイキングで恵庭鉱山

furutori

2012年01月30日 01:00

と言っても、僕が行ったのは4年前です。
前回の記事に頂いたコメントをきっかけに、今回の記事を書くことにしました。

今から丁度4年前の1月下旬、前回の記事の地形図を送ってくれたブーさんに誘われて、恵庭鉱山へ行きました。
何故、積雪期に行くのか?
恵庭鉱山は漁岳の麓の漁岳林道にあるのですが(というか、鉱山用の道路が林道に転用されている)目的の選鉱場は、既に密林になっており、夏季に行くと物凄い藪で近づくことすらままらないので、冬に行ってみようということになりました。

↑クリックすると大きな画像が表示されます。

という訳で、今回もマニアックテイストですが、スノーハイキングに興味のある方にも見ていただきたいです。
まずは簡単に恵庭鉱山を紹介します。

恵庭鉱山は金銀を採掘した鉱山です。
その発見時期は不明ですが、昭和5年頃には既に採掘が始まっています。
隣にある光竜鉱山は明治32年頃に発見されていますので、明治時代には発見されていた可能性は高いです。
この頃は秋田県の小坂製錬所へ売鉱されていました。
昭和9年、試掘権者のIと持分1/2で組合契約をし、日本鉱業(現JXホールディングス)が共同経営に乗り出し、昭和11年に採掘権を登録します。
当初は日鉱が経営している大金鉱山と徳星鉱山の支山扱いだったのですが、鉱量が有望視され昭和14年に青化製錬場を建設、昭和15年に恵庭鉱山探鉱所として独立しました。

戦時下に急激な発展を遂げる恵庭鉱山ですが、それに伴い人手不足も深刻化します。
それを補うために、他の鉱山同様、朝鮮人強制連行が配属されます。
朝鮮人強制連行の雇入総数は昭和17年6月時点で150人に上りました。

昭和18年、他の金鉱山と同様、金鉱整備令により帝国鉱発へ譲渡、閉山します。
記録が残っている昭和5年から数えると稼行期間は13年と短いです。
しかし、短期間にもかかわらず、製錬所、鉱員住宅、飯場、購買所、診療所、派出所、小学校等の施設が建てられ、鉱山街が形成されるほどの規模になっていました。
恵庭鉱山における人口の記録は残っていませんが、昭和15年の従業員数は584人なので、鉱山の総人口は1500人前後かもしれません。

戦後、昭和24年に油谷鉱業、昭和39年に東北鉱業と鉱業権者が移転しますが、いずれも稼行実績はありません。
昭和43年、合同資源産業に鉱業権が移転。後に合同資源産業は光竜鉱山も手に入れ、両鉱山を並行して探鉱を行いましたが、恵庭鉱山は稼行に至らず、平成4年、光竜鉱山と共に野田玉川鉱発へ譲渡されるも、やはり再開されず現在に至ります。
ちなみに光竜鉱山は平成18年に休山しています。

で、ここからはスノーハイキングのお話。

前述の通り、4年前の1月下旬に恵庭鉱山の選鉱場へ行きました。
ルートは上の画像を見てもらえればわかるとおり、漁岳林道を片道2kmほど歩きます。
漁岳林道は、漁岳の取り付きまでのアプローチに利用されるため、そのトレースをスノーシューで歩けば楽に行けるだろう・・・と算段していたのですが、前日の爆弾低気圧で、当日はまさかの膝ラッセル状態。

前を行くブーさんの勇姿。
体力が無い僕は、最後までブーさんの後を歩かせてもらいました(苦笑)

林道を2kmほど歩いた後、林の中に入り100m程進むと、選鉱場が姿を現します。

林の中に突如現れる構造物は、見ると軽く感動します。

丁度、お昼時だったので、建物に上がり

昼食を摂りました。


カップラーメンで温まった後、最上段まで上がりました。

もう、完全に密林に戻っていますね。
夏場は本当に歩きにくいです。

これが選鉱場の全景です。

木が多すぎて、わかりづらいですね。

側面には、こんな小部屋がありました。

小部屋の中には、鉱石らしきものが詰まっていました。
石英が入っていたりしたので、恐らく金鉱石かと思われます。

こんな感じで、色んな部分を調べまくって、帰路に着きました。

鬱蒼とした雪林の中に佇む、コンクリートの構造物。
これは鉱山に興味が無い方でも楽しめるのではないでしょうか。
片道2kmくらいで、比較的登りも軽いので、スノーハイキングにはオススメです。
普段であれば、漁岳の登山者のトレースがある筈なので、スノーシューでも比較的楽だと思います。
選鉱場の場所は林道から外れ、少しわかりづらいかもしれませんので、参考までにWGS84座標を載せておきます。
N42°49'14.19" , E141°15'56.20"
興味がある方は、是非行ってみてください。

余談ですが、雪が無ければ、坑口を見ることが出来ます。
事故防止の為か、ネットが掛けられています。

中は、こんな感じです。

場所は製錬所から林道を挟んで向こう側にある小川を遡ったあたりです。

参考資料 : 北海道金鉱山史研究、北海道金属非金属鉱床総覧

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